時には昔の話を(J1 2003年2ndステージ 最終節)

今日は時折雷も鳴るほどの雨続きで、オフィスの猛暑っぷりも一段落。
そんな雨の中の帰り道で、明日がJ1の最終節だったことを思い出す。
今年はようやく消化試合を楽しめる身分になったので(苦笑)、今年のことは置いといて、雨の中闘い抜いたあの試合の話でもしましょうか。
というわけで、巨人の話は次回に回します(^^;

2003年2ndステージの最終節。
当時は2シーズン制で、各ステージの勝者がチャンピオンシップに挑むことになっていたが、2002年の磐田のように、両ステージを制覇すればチャンピオンシップなしに完全優勝することができた。
2003年にその偉業達成に挑んだのが、我らが横浜F・マリノスである。
1stステージの優勝を決めた最終節では、日産の動員令により6万人弱の大観衆の中、神戸相手に3-0で快勝し、私自身初めての優勝決定の現場に居合わせることができた。6万人弱の観衆による歓声と手拍子が広い横国(今は日産スタジアムね)いっぱいに響き渡ったのは今でも忘れられない良き思い出である。
2ndステージでは苦しみながらも、なんとか完全優勝のチャンスを残したまま最終節までたどりついた。
しかし、そのチャンスはあまりにか細く、頼りないものであった。

最終節前の順位表はこちら(Jリーグ公式より)

我らが横浜F・マリノスの順位は3位。
完全優勝達成のためには、最終節で、

1位の磐田をホーム横国で下し、
2位の鹿島が浦和相手に引き分けか負け、
なおかつ4位の市原(現千葉)が読売相手に横浜との得失点差5点分をひっくりかえすほどの大勝をしない、

という数々の条件をことごとく満たす必要があった。
まあ市原はともかく、首位との直接対決を制しても他力というのがつらいところ。
そうは言っても、まず目の前の磐田を叩きつぶさんことには始まらんと、午前11時前には当時暮らしていた横国から徒歩1分の家を出た。
地元での完全優勝決定戦に備え、横浜市内の小中学生は入場料無料という超動員令を敢行したこともあり、氷雨の降る悪条件の中、キックオフは午後2時だったにもかかわらず、すでに横国には競技場を1周して余りあるほどの観客が詰めかけていた。もちろんそこには優勝を信じて疑わないサックスブルーに身を包んだ磐田サポも大挙駆けつけていた。
入場までの時間は長かったはずなのだが、すでに戦闘状態に入っていたからか、これまでの道のりやこの試合のことがあれこれ頭の中をぐるぐる回っている間に、気がつくと席に座っていた。
降り止まぬ氷雨と4万人余りの観衆の下、キックオフを告げるホイッスルが響き渡った。

※ここから先は、こちらの公式記録を見ながらお楽しみ下さい。

立ち上がり、鉄壁なはずの横浜守備陣の動きがいまひとつ冴えない。
横浜守備陣をあざ笑うかのようにふらふらとゾーンの切れ目へ忍び寄るグラウを捉えきれない。
「捕まえろ!」
と声を上げかけた矢先、そのグラウ目がけて絶妙のクロスが飛ぶ。
当然のように失点。
完全優勝に向け、実質2点のビハインドを背負うことになった。

それだけならまだしも、ここで信じられない事態が起こる。
榎本2号こと哲也が、自らのキックミスからグラウにボールをかっさらわれかけたのになぜか逆ギレし、あろうことかグラウを突き飛ばしたのだ。
当然ながら一発退場。
前代未聞。
空前絶後。
開いた口がふさがらない。

実質2点のビハインドを背負いつつ、残る75分を10人で戦う。
普通の試合だったらとっくの昔にあきらめていたが、なにしろ優勝決定戦である。
それに、選手は誰一人諦めていなかった。
ならば、こちらも誠意を見せるべき。

やる気を失わなかったのは、横浜の戦いぶりに根拠があったからでもある。
右からの正確無比なクロスで優勝の立役者の一人となったユキヒコを泣く泣く外して登場した下川は、横浜での出場機会こそ限られていたが、国際試合も含めた豊富な経験で、久々かつ途中出場かつ雨という困難な条件の中、何食わぬ顔で散歩でもしているかのように、普段と変わらぬ安定したパフォーマンスを発揮した。
とりあえず、よっぽどのことが無い限り、これ以上の失点はないように思えた。
3-5-2のフォーメーションからFWを下げず、ドゥトラと松田をSBに下げた急造の4-3-2のフォーメーションも上手く機能した。日本代表経験も豊富な不動のCBである松田は、右SBとして攻撃力こそ落第点だったが、この日に限ってはCBに居るときよりも守備は安定していた。また、那須・遠藤・奥で組織された中盤は、一人少ないことを感じさせぬほどのすさまじい運動量を発揮。残った久保・マルキーニョスの2トップは、終始カウンターの恐怖を磐田守備陣に与え続けた。

0-1のまま前半が終了し、通常ならしばし電光掲示板を占めるはずの他球場の途中結果が一瞬で消される。
なんか鹿島が2-0で勝っていたような気がするがたぶん気のせいだろう。
というか、ヨソを気にする暇などこれっぽっちもない。

劣勢のチームが点を取るには、やはり重要なのがセットプレー。
それも、立ち上がりとか試合終盤なんかが狙い目。
当時J1で猛威を振るっていた横浜のセットプレーが、後半立ち上がりに炸裂する。
ゴール左手からのCKを、ファーサイドで待ち構えていたマルキーニョスが押し込んでゲット。観客は総立ちで勇者を出迎える。

その直後、ここまで驚異的な運動量で横浜の中盤を支えてきた遠藤がついに力尽きて交代。代わって出てきたのが上野。
司令塔からボランチへ転向して大成功した上野は、長短のパスを芸術的に使い分け、長年横浜の中盤に君臨。特に2002年はチームMVPクラスの活躍を見せたが、タテに早い攻めを志向する岡田監督の構想から外れ、不遇をかこつ日々を送っていた。
それだけに。
みんな、この日を、待っていた。
「ア・レ・う・えの・よ・しは・る!」「上野!上野!上野!」
ここぞとばかりに、応援歌が響き渡る。
横浜サポの士気は最高潮に達した。

それにしても磐田の動きは鈍い。
雨に祟られたか、自慢のパスワークは影を潜め、運動量など見る影もない。
とはいえ、とにかくもう1点取らないことには先に進めない。

後半ロスタイム。
とにかく1点が欲しい。
下川の長いゴールキックを上野が繋ぎ、松田が磐田ゴール前に大きく蹴り出す。
さっきまで時間稼ぎのため倒れていた山西は、「ゴール前でのロビングボールをバウンドさせてはならない。特に雨の日は。」というセオリーには反していたが、周囲を確認し、より安全に処理しようとボールを弾ませた。

その判断は正しかった。
この日、最も警戒しなければならないはずの選手のことを忘れてさえいなければ。
久保の呆れるほど高い打点から放たれたドライブヘッドは、不用意に前に飛び出していた山本の頭上を越え、ネットを揺らした。
ドラゴンヘッド、炸裂。
爆発する観客席。
しかし。
「まだ終わってないぞ!」
「早く切り替えろ!」
素早く体勢を立て直す。
ここで緩んではすべてが水の泡である。

試合終了。
いつもなら勝利のセレモニーが流れるはずの電光掲示板が、何の予告もなく鹿島の選手達を映し出す。
皆、一様に表情が固い。
画面の隅にスコアが示される。
浦和2-2鹿島。
後になって判ったことだが、後半ロスタイムにエメルソンが同点ゴールを叩き込んでいたのだった。
目は電光掲示板に釘付けになりながら、このまま何事もなく時が過ぎることをただただ祈る。

しばらくして。
電光掲示板の試合も終了。
スコアは2-2のまま動かず。

横国に渦巻いていた抑圧された感情が、一気に解き放たれる。
完全優勝達成。
我々は、やり遂げたのだ。



フィクションにするにはあまりにウソ臭い展開を生で体験することができて幸運でした。
また、わずか5年前のことなのですが、この試合に出場していた大半の選手や監督がすでにチームを離れているのに驚かされます。横浜だと、榎本二号・中澤・河合・松田しかいないんですよね。
それから、グラウがこの後横浜入りするとか(活躍しなかったけどorz)、マルキーニョスが鹿島で得点王だとか、このときの私に言ったらたぶん信じないでしょうね(笑)

明日はこのままだと鹿島の優勝が濃厚ですが、すでに降格を決めた札幌が相手で、しかも引き分けでもまず優勝確定という状況がかえって隙を生むこともあります(経験談)。ただ、こういうところは逃さないのが鹿島というイメージは強いのですが。
優勝の可能性がわずかながら残っている名古屋と川崎は、とにかく目の前の試合を頑張って下さい。自分で転んでしまうことこそ情けないことはありませんから。

最後まで、諦めなかった奴の、勝ちだ。
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by mitsuboshi03 | 2008-12-05 23:55 | スポーツ | Comments(0)

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